旅のルール;第7条 「好き」と「コスト」の放物曲線

 

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好きとコストの放物曲線。
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インスタに載せるべき写真も話もたくさんあるにもかかわらず
今日はパス。 
 
少しずつこのHPも構成をいじってたりして、
自分のプロフィールもまじめに書き直さなくちゃなー。 
こういう場合、やっぱ出身地とか趣味とか書くんだよなあ。 
  

出身地は、福岡の久留米です。 
なのでラーメンは、塩でも醤油でも味噌でもなくて、とんこつ派です。 
 
 
趣味は、旅です。
一泊二日あれば、日本各地津々浦々、「どこでもちょっとそこまで」「行って来い」の距離感です。
自分の中で、北海道や青森や鹿児島は、山手線の反対側、池袋エリアに比べ数倍は近い。 
数えてみたら、北海道は20回以上行ってて北海道全体の80%、東北は100%、四国は90%、九州は70%、本州日本海沿岸は85%くらいの「海岸線」を走破済みです。車だけじゃなくバスや電車も含みます。 
(読んでる人の99.999%にとってどうでもいい情報だという確信はあるが、今日のテーマにおいてイカレッっぷりを書いたほうが納得感が増すかもしれないので、一応書く) 
 
その時良かった旅先は、何度でも執拗に行くので、
「青森駅で朝のコーヒーを飲みながら、そういえば先週も先々週もここで飲んでたな」とか、「山口の湯田温泉が良かったので翌月また夜行バスで向かう」とか、「本州ならば一泊一日でも充分で、昼に出て、翌日昼に帰る」とか、

きっとこういう状態をいわゆる「病、膏肓(やまい、こーこー)に入る」というのだと思います。  
 
旅することは、むしろ旅が日常であって日常のほうが旅であるくらいに思っているので、旅にかかるコストについては、かなり厳格な基準点があります。
 
でも、好きなものについてぐるっと一周半したら、
どんな人でもどんな趣味でも、「コスト対効果」について相当に厳しくなる。はず。ゼッタイ。 
 
この現象を、  自分では
 <「好き」と「コスト」の放物曲線> 
と名付けてます。  
  
 
「好きな度合いと、かけるコストは放物曲線を描く」 
   
 
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ト    。          。 
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これが自分の「旅のルール」第4条。
 
   
たとえば、今、趣味になるものが見つかったとしましょう。

当初は、その趣味にのめり込めばのめり込むほど、お金をかけます。 
 
ピアノやテニス、カメラや映画、料理や切手や音楽やゲームや習い事。   
のめり込むほどにレッスンとか仲間の集まりとかあるいは収集物とかは、より頻繁になりより高度になっていく。 
  
当然、機会にともなって出費が増える。 
購入して揃えればそろえるほどコストはかさむ。 
  
出費が、
かさんで、かさんで、かさんで、
ある日頂点に達した瞬間。 
 
「コスパ」という概念が、突如、あなたの脳内に表示されるのです。 
 
今まで湯水のように使っていたはずなのに、人によっては周囲にとがめられるほどに金に糸目はつけなかったはずなのに、ある日突然、 
 
「このサービスにこれだけの金額をかけるのは、前回のあの時と比べてなんだか割高じゃないか?」という、仄暗く、しかし喉にささるような疑念、かすかな、だがどうにも見過ごせない疑問をもつ瞬間が、訪れるのです。   
 
それが「放物曲線の頂点に達した」瞬間なのです。   
↑          。 ☜ココ 
↑         。 。 
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コ      。      。 
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この頂点に達した次の瞬間、突如、使う金額にシビアになりはじめる。 
 
たとえばもしあなたがグルメで食べ歩きが趣味なら、「美味しかったけどこの内容でこの値段は割に合わない、以前いった〇〇や▶️▶️に比べたら」、と店を出た瞬間に、脳内で品評会スタート。 
たとえば料理好きな人なら、スーパーで特価の表示をみたとても、「いや、この値段はまだ最安値じゃない。だまされないぞ」とつぶやいたことがあるはずです。
 
で、自分の場合にはその対象が温泉宿です。
自分の国内における宿探しの第一希望は、常に、
「源泉掛け流し100%」。 
 
「できれば自家源泉で自然湧出で、かつ湧出地からなるべく近いところに宿というよりいっそ浴槽が設置されていて、
宿泊者の人数に対して無理に多すぎる風呂を設けず、
それはもちろん源泉が適温の湧出にこしたことはないが自然の恵みなので高温の場合は致し方ないけど可能なら加水せずにその熱を自然に下げる装置を設けていて、
加温しなければならないのならそれは無論ふろの楽しさはリラックスであるので、加温していただきたいが可能ならば加温した湯と
ぬるい源泉とふたつ浴槽があって交互にはいれたらこの上もなく至福なのであって、
かつ毎日全ての湯を入れ替えて掃除してくれたらすごく嬉しい」(読まなくていいですよ)(というか誰か読んでくれてるのかこれ)(温泉好きな人にこの呪文をかけると一部には反応してもらえるかも)なので、 
源泉掛け流しの宿で、いいお湯なら、ほかは全無視。 もうトイレ共同でも文句言わない。
 
そこそこ料理がおいしくて、古くても掃除が行き届いてて、
部屋にお風呂はなくても(そもそも源泉の大浴場があるんだからいちいち部屋に風呂は要らん)、
「安全上夜中は風呂に入れませんよ」というとかいう謎の縛りもなく、 
「ええうちは掛け流しなんでお湯は出しっ放しにしてますんで、24時間お好きにどうぞ、清掃のためにチェックアウト後1時間くらい以外なら夜中でも好きなだけ入ったらええがな」 
 
という宿を、1万円台で、十分よい温泉の宿に泊まれることを、 
すでに自分は知っている。 
 
そう、自分は知ってしまった。  
あまりにあ ちこち行きすぎて、ほんとは、以前は、もっとゆるい基準で十分温泉だー🎵と喜んでいたはずなのに、
うっかり、知恵の実のリンゴをかじってしまったのだ。   
 
もう、知らなかった昔には、戻れないのだ。    
 
なので温泉宿のコスパに関しては、鬼のようにうるさい。
  
これが自分の「好き」と「コスト」の放物曲線の終着点です。
  
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 で、果たしてこれは幸福なのか、不幸なのか。 
 
それはわからないけど、少なくとも「放物曲線」の最終地点にたどりついた人は、どんどん口うるさくなり重箱の隅をつつくようになり、せっかく好きになったものを享受し堪能し幸せになれる機会を自分でせばめてしまっているわけなので、それは不幸なのは間違いないのだが、  
一方、「ああ、これはコスト対効果にあっている」「そして、素晴らしい」という獲物をみつけて奪取する瞬間は、まさに恍惚の瞬間である。 
 周囲99%の人には全く理解し難い幸せを享受して、ひとり堪能している。 
それを「至福」。と、ひとはいう。   
ついでながら人はこういう時「美しい」「素晴らしい」とつぶやきがちだ。ツウの域に達した人の唇から、思わず問わず感嘆の声が漏れるとき、それは間違いなく、至福の瞬間なのだ。 
それまでのマイナスをすべてくつがえすほど、その一瞬の恍惚がすべてをあがなうのだ。 
趣味って、たぶんそういうものだ。  

病は、膏肓に入るのだ。 
 
では皆様今日もおつかれさまでした。 
 
 
 
。。。。。。。。。。
多くの旅好きがそうであるように、自分にも旅する時自分に課すような、個人的なルールがいくつかあります。そのうち書き足します。 
自分の場合の、
「旅のルール」  。
 

1旅する時は、無理をする 

2行きたい時が行きどき、見たい時が見どき 

3暑い時は暑いところへ、寒い時は寒い所へ。 

4好きとコストの放物曲線  

5景色がごちそう 予算を踏まえて優先順位をつける。 

6トラブルはトラベル 旅先の風邪は忘れられないし、旅先の乗り遅れは忘れられない。 

7旅の効能は水力発電 落差が大きいほど効果が高い 

8ホテルは、円のど真ん中  資産と負債を考慮する。

9一人旅の旅の安全の極意、「擬態」。 

10身一つで行く。 「軽い」は正義。

11旅が日常で、日常が旅。 

 

   
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