花が好きな人
投稿日:
更新日:
今日、夕方チャイムが鳴って、あ、パトラさんだ、と出る前からわかった。
さっきLINEで「シンビジュームの鉢の、葉っぱだけになったのがあるけど要りますか?」と連絡したのだった。不在着信がついてたのを見ながら、申し訳ないと思ってドアをあけました。
パトラさんは、花好きのご近所さんです。お庭でめちゃめちゃたくさんの花を育てている。交換したLINEの名前がそうなので(愛猫の名前らしい)ついパトラさんと呼んでいる。
一会は、お花屋さんのような店舗ではありません。完全予約制の花の事務所です。なので、こんな花屋にわざわざ手間暇かけて頼んでくれる人は、みな際立って花好きです。その中でも、確かに、ひときわ、屈指の花好きの方だと思う。
一会が仕入れすぎて、イチエッタでも捌くタイミングを逸してうっかり古くしてしまった花、花だけ使って葉っぱだけ残った鉢もの、短くしてしまった百合の花なんかを、喜んで全部ひきとってくれて、最後まで愛でてくれます。
それがどんなに救われることか、これは、自分で自腹をきって仕入れてる花屋でなければわからないと思う。
毎週のようにダメな花を切って捨てる。でも懸命に仕入れた花を誰にも手渡せることなく、自分の手元で枯れさせてしまうことの罪悪感は、何十年経ってもそう減らない。
でも葉や茎がダメになってしまってどろどろの中から、まだ咲くだろう花を選り分けるのも、手間がかかる。選別してもその花を残せばまた明日入荷してくる新しい花を置く場所がない、花瓶もたりない。労力とリソースは限られてて、全部をケアしようと思ったら新しい花がおろそかになる。だから、見切って、捨てます。でも慣れるわけではない。
そういうもうダメになりはじめた花たち、一部は茎が腐り始めた花さえも、パトラさんは「いいからいいから、こっちで選り分けるから!」と、押してきた自転車の荷台に載せて、ひっくるめて全部持ってってくれるのだ。そして代わりにリンゴやブドウやパン、時にはお惣菜をくれます。セレブ街と呼ばれる白金の一角で、原始的物々交換。
それがどんなに救われたことか、どんなに嬉しかったか、今日もう一度、書いておこうと思いました。
で、今日夕方、ドアを開けたら、いつものように、
「こんにちは〜 返事がなかったけど来ちゃったわーーーいつもありがとね〜」と言うだろうと思った。で、「私ねえ、ちょっと入院しちゃってたのよ、娘から聞いたでしょ」「道で娘とすれ違ったんですって?先生によろしくって言ってたわ〜」
って、言うと思った。
でもドア向こうに立ってたのはお嬢さんとご主人様でした。「11時53分、夜の」と亡くなった日時を言うのを、きっとお二人は何度も周囲の人に繰り返されたんだと思う。
パトラさんの「あら〜いいの〜?悪いわねえ」という声が聞けなくなるのがとても、寂しい。一度、遊びにいらっしゃいよと言われながら行けなかったことが、とても寂しい。
でもいつか、自分もそこに行くのだ。行ったらハイタッチして、咲いたゆりを一緒に飾って、自慢のバラが咲いた庭でお茶を飲めたら、きっと楽しいだろうと思います。
では、みなさま今日もおつかれさまでした。